2004.12.30 Thursday
http://www.sanspo.com/tigers/top/tig200412/tig2004123005.html
1981年に在籍していたダグ・オルト氏(54)がフロリダで死亡。死因はピストル自殺…。1977年ブルージェイズが創設された時のメンバーの一人で、開幕戦では球団第1号を含む2本塁打を放った。阪神でも102試合、打率.307、18本塁打、59打点の成績を残す。開幕後4番を打つも早々に「ダメ」の烙印を押されてしまい、その後は中途半端に起用される。後半は完全に適応し、「これから」という雰囲気だったが、一年で解雇される。まだラインバック&ブリーデンの頃から日も浅く、「もっと良い外人でなきゃ」という時代だった。翌年のジョンストン&アレンがさらに悪く、1983年途中のバース来日まで「オルトがおると良かったのに」と言われる。事情はわからないが自殺というのはショッキング。合掌。
ヤクルトがポイントカードを導入し、神宮球場の集客アップを目指すという。ありそうでなかったサービスで面白い。相当数の阪神ファンがこのカードを持ちそうな予感(笑)。
楽天はモー娘。の応援歌だの、YOSHIKIを起用した本拠開幕イベントを行うだのと「ど派手路線」らしい。一方のソフトバンクは、芸能関係を一切排除し、球団の歴史を尊重した落ち着いたセレモニーで行くという。どっちも正解だと思う。どんな手を使ってでも、まずは一人でも多い人に注目してもらいたい新参者と、すでに出来上がっているものを継承する新参者。見栄&ハッタリが必要な楽天と、謙虚な「挨拶」が必要なソフトバンク。どちらも自分たちが新しい歴史を創るのだというプライドを忘れるな。
サンスポ連載、引退した八木裕氏の回想録が最終回。「引き際」の話。中でも興味深かったのが、引退後の進路として「解説者」を選んだことについて語った「ほら、オレって口下手だろ。選手に伝えるために、言葉を磨きたかった。解説者の仕事を、オレは一つの修行だとも思っている」という言葉。指導者としてのステップとして解説者・評論家の仕事が役に立つという考え方。そう、星野SDがよく勧める道だ。曰く、(1)所属したチームの外から球界を見ることで、視野が広がる、(2)球界内外の人脈形成ができる、(3)情報収集・分析・表現という、指導者として重要なスキルを磨くことができる…などの利点があるという。ただし、各メディアとも定員オーバー。その地位に就くことが選択肢に成り得るのは、現役時代から相当な人気と実力を備えているか、解説者・評論家としての資質を評価されているかどちらかだ。そしてその職で、高い評価を得られれば、例え現場での指導者経験がなくても、いきなり「監督候補」として存在し得る。しかし、現場経験の乏しさから軋轢が生まれたり、「理想主義」「夢見がち」になる傾向もある。星野SDがよく言うので、当たり前のようにとらえてしまっているが、決して伝統的な「指導者のあり方」ではないと思う。それでも今後ますますこのコースが監督への近道になって行くのかも知れない。本当に星野仙一という人の影響力は大きいものがある。
その一方で、引退後、二軍コーチからコツコツと下積みを重ね、経験と実力を身につけ上がってくる指導者がいる。引退以来一度もユニフォームを脱ぐことなく監督までという人もけっこう多い。このタイプ、豊富な現場経験をもとに心技体すべてに的確に伝授することから、選手からの人望が厚いことが長所。反面、その域に達するまで当然時間がかかること、世界が狭く、自分の尺度だけを「押しつけ」「決めつけ」る傾向、それと合わないものは排除する傾向があるのが短所。アメリカ球界では指導者といえば、こういうものだ。
いろいろな監督、コーチと接してきた八木氏が、指導者になるための道として解説者を選んだということには、いろいろな解釈が加えられそうで、誠に面白い。
1981年に在籍していたダグ・オルト氏(54)がフロリダで死亡。死因はピストル自殺…。1977年ブルージェイズが創設された時のメンバーの一人で、開幕戦では球団第1号を含む2本塁打を放った。阪神でも102試合、打率.307、18本塁打、59打点の成績を残す。開幕後4番を打つも早々に「ダメ」の烙印を押されてしまい、その後は中途半端に起用される。後半は完全に適応し、「これから」という雰囲気だったが、一年で解雇される。まだラインバック&ブリーデンの頃から日も浅く、「もっと良い外人でなきゃ」という時代だった。翌年のジョンストン&アレンがさらに悪く、1983年途中のバース来日まで「オルトがおると良かったのに」と言われる。事情はわからないが自殺というのはショッキング。合掌。
ヤクルトがポイントカードを導入し、神宮球場の集客アップを目指すという。ありそうでなかったサービスで面白い。相当数の阪神ファンがこのカードを持ちそうな予感(笑)。
楽天はモー娘。の応援歌だの、YOSHIKIを起用した本拠開幕イベントを行うだのと「ど派手路線」らしい。一方のソフトバンクは、芸能関係を一切排除し、球団の歴史を尊重した落ち着いたセレモニーで行くという。どっちも正解だと思う。どんな手を使ってでも、まずは一人でも多い人に注目してもらいたい新参者と、すでに出来上がっているものを継承する新参者。見栄&ハッタリが必要な楽天と、謙虚な「挨拶」が必要なソフトバンク。どちらも自分たちが新しい歴史を創るのだというプライドを忘れるな。
サンスポ連載、引退した八木裕氏の回想録が最終回。「引き際」の話。中でも興味深かったのが、引退後の進路として「解説者」を選んだことについて語った「ほら、オレって口下手だろ。選手に伝えるために、言葉を磨きたかった。解説者の仕事を、オレは一つの修行だとも思っている」という言葉。指導者としてのステップとして解説者・評論家の仕事が役に立つという考え方。そう、星野SDがよく勧める道だ。曰く、(1)所属したチームの外から球界を見ることで、視野が広がる、(2)球界内外の人脈形成ができる、(3)情報収集・分析・表現という、指導者として重要なスキルを磨くことができる…などの利点があるという。ただし、各メディアとも定員オーバー。その地位に就くことが選択肢に成り得るのは、現役時代から相当な人気と実力を備えているか、解説者・評論家としての資質を評価されているかどちらかだ。そしてその職で、高い評価を得られれば、例え現場での指導者経験がなくても、いきなり「監督候補」として存在し得る。しかし、現場経験の乏しさから軋轢が生まれたり、「理想主義」「夢見がち」になる傾向もある。星野SDがよく言うので、当たり前のようにとらえてしまっているが、決して伝統的な「指導者のあり方」ではないと思う。それでも今後ますますこのコースが監督への近道になって行くのかも知れない。本当に星野仙一という人の影響力は大きいものがある。
その一方で、引退後、二軍コーチからコツコツと下積みを重ね、経験と実力を身につけ上がってくる指導者がいる。引退以来一度もユニフォームを脱ぐことなく監督までという人もけっこう多い。このタイプ、豊富な現場経験をもとに心技体すべてに的確に伝授することから、選手からの人望が厚いことが長所。反面、その域に達するまで当然時間がかかること、世界が狭く、自分の尺度だけを「押しつけ」「決めつけ」る傾向、それと合わないものは排除する傾向があるのが短所。アメリカ球界では指導者といえば、こういうものだ。
いろいろな監督、コーチと接してきた八木氏が、指導者になるための道として解説者を選んだということには、いろいろな解釈が加えられそうで、誠に面白い。