2008.09.08 Monday
例えば息子と同じ10歳になった年は1976年。戦争が終結してから31年後のことである。10歳の子どもにとって、自分の人生の3倍以上である、31年も前なんてのは大昔の話でしかない。「戦争を知らない子どもたち」なんていう言葉を聞くと、「は?なんのこと?」という違和感を覚えた。
当時私はすでに野球を知り、タイガースファンだった。田淵が大好きで、新加入のラインバックとブリーデンが気になって、若虎掛布に胸ときめいていた。昨日のことのようにといっては大げさだが、今でもよく覚えている。
時は現在。ラインバック来日から、経った年数は32年。あっという間のことである。
今から思うと、私が10歳だった時は、まだ戦争が終わって、「たった31年」しか経っていなかったのだと思う。
私が生まれる9年前の1957年に広島市民球場は開場した。それまでのグラウンドにはナイター設備がなく、地元財界の支援を受けて出来上がった新しい市民球場に、野球好きの市民は大喜びだったという。
広島カープが生まれたのはその7年前、1950年。カープは核の焼け野原と化した広島復興のシンボルだった。人々はプロ野球に熱狂したという。
原爆が投下されたのは1945年8月6日。その5年前のことだ。核の烈火が一瞬にして山陽の都を焼けただれた地獄に変える。ありとあらゆるもの、やわらかいもの、固いもの、生けるもの、すべてを傷つけ、蝕み、焼き、溶かし、消した。
その瓦礫の原っぱから、広島は立ち直った。わずか5年で、プロ野球球団を持てるまでに。
広島市民球場と広島カープは、広島が苦難に打ち克って復興していくそのダイナミズムの象徴。川を挟んで向こう岸に佇む原爆ドームは、変わりゆく街、変わりゆく人の心に止めておくべき記憶の象徴。
残暑厳しい日を受けて、今なお時を止め続ける原爆ドームに、市民球場のスタンドからドーっという大歓声が降り注ぐ。でも原爆ドームは何も言わず、ただただ止まっている時を守っている。
カープに思いを込める市民の熱さは変わっていない。この二日で強く感じたことだ。
老朽化と顧客サービス向上は対策も必要だが、この場所から市民球場がなくなってしまうのはとても残念に思った。
土日、駆け足で市民球場、宮島、平和記念公園、原爆ドーム、そして市内を見て回った。もうすぐ10歳になる息子にも思いで多い旅になったと思う。
いやさすがに忙しくて疲れてビデオを見ていないのよ。もちろん経過はずっと気にしていたけどね。ま、今日はこんなんでひとつ…。
いろいろお気遣いいただいたwanさん、ありがとう!旅の途中で出会った虎ファンのみなさん、ありがとう!
さあさ、引き続き窮地の虎を元気づけて行こうね!
当時私はすでに野球を知り、タイガースファンだった。田淵が大好きで、新加入のラインバックとブリーデンが気になって、若虎掛布に胸ときめいていた。昨日のことのようにといっては大げさだが、今でもよく覚えている。
時は現在。ラインバック来日から、経った年数は32年。あっという間のことである。
今から思うと、私が10歳だった時は、まだ戦争が終わって、「たった31年」しか経っていなかったのだと思う。
私が生まれる9年前の1957年に広島市民球場は開場した。それまでのグラウンドにはナイター設備がなく、地元財界の支援を受けて出来上がった新しい市民球場に、野球好きの市民は大喜びだったという。
広島カープが生まれたのはその7年前、1950年。カープは核の焼け野原と化した広島復興のシンボルだった。人々はプロ野球に熱狂したという。
原爆が投下されたのは1945年8月6日。その5年前のことだ。核の烈火が一瞬にして山陽の都を焼けただれた地獄に変える。ありとあらゆるもの、やわらかいもの、固いもの、生けるもの、すべてを傷つけ、蝕み、焼き、溶かし、消した。
その瓦礫の原っぱから、広島は立ち直った。わずか5年で、プロ野球球団を持てるまでに。
広島市民球場と広島カープは、広島が苦難に打ち克って復興していくそのダイナミズムの象徴。川を挟んで向こう岸に佇む原爆ドームは、変わりゆく街、変わりゆく人の心に止めておくべき記憶の象徴。
残暑厳しい日を受けて、今なお時を止め続ける原爆ドームに、市民球場のスタンドからドーっという大歓声が降り注ぐ。でも原爆ドームは何も言わず、ただただ止まっている時を守っている。
カープに思いを込める市民の熱さは変わっていない。この二日で強く感じたことだ。
老朽化と顧客サービス向上は対策も必要だが、この場所から市民球場がなくなってしまうのはとても残念に思った。
土日、駆け足で市民球場、宮島、平和記念公園、原爆ドーム、そして市内を見て回った。もうすぐ10歳になる息子にも思いで多い旅になったと思う。
いやさすがに忙しくて疲れてビデオを見ていないのよ。もちろん経過はずっと気にしていたけどね。ま、今日はこんなんでひとつ…。
いろいろお気遣いいただいたwanさん、ありがとう!旅の途中で出会った虎ファンのみなさん、ありがとう!
さあさ、引き続き窮地の虎を元気づけて行こうね!