2009.02.07 Saturday
宜野座組の「降格候補」より高い評価になりやすいから、ここで推薦してもらえたのは能見にとって大きい。一軍首脳にも左が足りないという危機感もあったんだろうね。せっかくだから勢いに乗ってしまえ。
上園、黒田、玉置、阿部、石川、白仁田と、若手右6人衆がフリー打撃に登板。上園、阿部は極めて順調そうで、現在の自分の仕上がりを確かめるような、余裕と風格すら感じる内容。 石川も一軍経験ですっかり自信をつけた感じ。堂々と投げ込んでいた。玉置、白仁田はアピールしたいという気持ちをぐっと抑えて、力まぬように軽めの投球。フリー打撃での課題、「意図した球筋でストライクを投げる」に専念していた。黒田は直球でアピールしたかったのだがその意識が上半身の開きになって、その修正でいっぱいいっぱい。それでもボロボロにならなかったからまあ良し。
午前中のシートノックでは、外野手も内野の守備位置についてノックを受ける様子が放映されていた。放送はされていなかったが、さらに中継プレーの練習では、内野手が外野を守り、外野手が内野を守ったんだって(報知)。「いいプレーをするには相手の気持ち、動きが分かった方がいいから」と真弓監督はその真意を語ったが、変化をつけて楽しくというのも大いにあっただろう。
しかし、ふだんは適当に読み飛ばすサンスポの「虎のソナタ」に、「ほう、そうだったっけ?」という情報。
当時はそこまで熱心にキャンプ情報まで追っかけていなかったから、真弓と岡田で二塁を争ったという印象がほとんどなかったが、そうだったんだね。「岡田から真弓へ」という現在の状況の下では、なかなか味わいのある情報だ。
現役時代にあちこちポジションを変えられた真弓監督は、常々「守備位置は一つに決めた方が良い」と言っているが、コンバートの有効性についてもよくわかっている人だと思う。たわいない「遊び」の中でも、技能や精神的な適性を見出そうとしていたに違いない。
上園、黒田、玉置、阿部、石川、白仁田と、若手右6人衆がフリー打撃に登板。上園、阿部は極めて順調そうで、現在の自分の仕上がりを確かめるような、余裕と風格すら感じる内容。 石川も一軍経験ですっかり自信をつけた感じ。堂々と投げ込んでいた。玉置、白仁田はアピールしたいという気持ちをぐっと抑えて、力まぬように軽めの投球。フリー打撃での課題、「意図した球筋でストライクを投げる」に専念していた。黒田は直球でアピールしたかったのだがその意識が上半身の開きになって、その修正でいっぱいいっぱい。それでもボロボロにならなかったからまあ良し。
午前中のシートノックでは、外野手も内野の守備位置についてノックを受ける様子が放映されていた。放送はされていなかったが、さらに中継プレーの練習では、内野手が外野を守り、外野手が内野を守ったんだって(報知)。「いいプレーをするには相手の気持ち、動きが分かった方がいいから」と真弓監督はその真意を語ったが、変化をつけて楽しくというのも大いにあっただろう。
しかし、ふだんは適当に読み飛ばすサンスポの「虎のソナタ」に、「ほう、そうだったっけ?」という情報。
(前略)1985年(昭60)の春のキャンプで実は吉田監督がはじめてコレをやらせている。その時はセカンドを「真弓か岡田か」で吉田さんは悩んだ。二塁がうまいのは真弓。岡田彰布(前監督)はその当時は真弓に比べるとやや劣勢だ。にもかかわらず吉田監督はその“劣る側”を二塁に残し“優る側”を外野にコンバートした。
実はここに「人事の妙」があった。と同時にこのキャンプでスクランブル・シートノック。それは「誰もがみんなの気持ちを理解する」ことが必要だったのである。この85年、二塁手岡田も大活躍し、右翼手真弓も優勝への牽引(けんいん)車となった。ひょっとしたら…いやたぶん、真弓監督は24年前の経験則からこの練習をやらせたのかもしれない。(攻略)
当時はそこまで熱心にキャンプ情報まで追っかけていなかったから、真弓と岡田で二塁を争ったという印象がほとんどなかったが、そうだったんだね。「岡田から真弓へ」という現在の状況の下では、なかなか味わいのある情報だ。
現役時代にあちこちポジションを変えられた真弓監督は、常々「守備位置は一つに決めた方が良い」と言っているが、コンバートの有効性についてもよくわかっている人だと思う。たわいない「遊び」の中でも、技能や精神的な適性を見出そうとしていたに違いない。