2009.11.27 Friday
ちょっと前のニュースに、ノムさんが故郷の京丹後市(旧網野町)から名誉市民の称号を贈られ涙したというのがあった(読売)。
野村克也という人物は、見る角度を変えるとまったく違う形に見える不思議な多面体だ。「人格者」という人もあれば、「人でなし」という人もあれば、「努力家」という人もあれば、「まるで人が変わってしまった」という人もあれば…。私の知る範囲でもいろんな顔を持っている。
しかし私の原体験に生きる野村克也は、後楽園球場で行われた日本ハムファイターズ対南海ホークス戦、ナイターの外野スタンドに、たくさんの友だちまるまる招待してくれたやさしいおじさんだ。
1974年秋、東京都下稲城市に東京コメッツという少年軟式野球チームができた(なんと嬉しいことに現存する)。当時近所にノブちゃんという2つ年上のにいちゃんがいて、五目並べを教えてもらったり、自転車で遠出するのについていったり。ノブちゃんがコメッツに体験入部するというのでボクもついていった。同じ小学3年生の仲間もたくさんいて、ボクはまもなく野球少年になった(ノブちゃんはすぐにやめちゃった)。
その冬だったかその次の冬だったか。練習場所の校庭に突然野村克也が現れた。当時は南海ホークスの捕手兼監督で、たぶんつてのある人が呼んだのだろう。ジャケット姿、中肉中背、ボクには普通のおじさんにしか見えなかった。その後、公民館の大きな会議室に市内の少年野球チームの選手が集められて、その前でお話をしてくれた。「野球ができることに感謝しなさい。道具を大切にしなさい。一生懸命やりなさい」そんな話だったと思うけど、ひょっとしたらその後TVで見たノムさんが混ざっているのかも知れない。とにかく覚えているのは、多くの子どもを前にして、照れくさそうな、恥ずかしそうな、もじもじぼそぼそ喋るおじさんだと思ったこと。なんかイヤイヤ来てくれたのかな…子どものボクの目にはそんな感じに見えた。
次のシーズン、ボクたちは後楽園球場のレフト席に招待された。他のチームの子もいたように思うから100枚200枚のチケットを出してくれたんじゃないかな。まあ当時のそのカードのことを考えれば、ノムさんが持ち出しするまでもなくタダだったかも知れないけど、当時のボクにはそんなことは関係ない。「チームまるごとプロ野球観戦」をプレゼントしてくれたってことが嬉しかった。みんなで野球を見て、ジュース飲んで、大声出してノムさんを応援した。もっと嬉しかったのは、ノムさんがボクたちのことを覚えていてくれたこと。イヤイヤ来てくれたんじゃなかったんだ。
校庭でノムさんを囲んだチームの集合写真が、今でも子ども時代のアルバムに貼ってある。仲間たちの真ん中で照れくさそうに微笑む野村克也氏、当時40歳前後。いつのまにか私も「あの時のおじさん」よりトシをとっていた。
しかし私の原体験に生きる野村克也は、後楽園球場で行われた日本ハムファイターズ対南海ホークス戦、ナイターの外野スタンドに、たくさんの友だちまるまる招待してくれたやさしいおじさんだ。
1974年秋、東京都下稲城市に東京コメッツという少年軟式野球チームができた(なんと嬉しいことに現存する)。当時近所にノブちゃんという2つ年上のにいちゃんがいて、五目並べを教えてもらったり、自転車で遠出するのについていったり。ノブちゃんがコメッツに体験入部するというのでボクもついていった。同じ小学3年生の仲間もたくさんいて、ボクはまもなく野球少年になった(ノブちゃんはすぐにやめちゃった)。
その冬だったかその次の冬だったか。練習場所の校庭に突然野村克也が現れた。当時は南海ホークスの捕手兼監督で、たぶんつてのある人が呼んだのだろう。ジャケット姿、中肉中背、ボクには普通のおじさんにしか見えなかった。その後、公民館の大きな会議室に市内の少年野球チームの選手が集められて、その前でお話をしてくれた。「野球ができることに感謝しなさい。道具を大切にしなさい。一生懸命やりなさい」そんな話だったと思うけど、ひょっとしたらその後TVで見たノムさんが混ざっているのかも知れない。とにかく覚えているのは、多くの子どもを前にして、照れくさそうな、恥ずかしそうな、もじもじぼそぼそ喋るおじさんだと思ったこと。なんかイヤイヤ来てくれたのかな…子どものボクの目にはそんな感じに見えた。
次のシーズン、ボクたちは後楽園球場のレフト席に招待された。他のチームの子もいたように思うから100枚200枚のチケットを出してくれたんじゃないかな。まあ当時のそのカードのことを考えれば、ノムさんが持ち出しするまでもなくタダだったかも知れないけど、当時のボクにはそんなことは関係ない。「チームまるごとプロ野球観戦」をプレゼントしてくれたってことが嬉しかった。みんなで野球を見て、ジュース飲んで、大声出してノムさんを応援した。もっと嬉しかったのは、ノムさんがボクたちのことを覚えていてくれたこと。イヤイヤ来てくれたんじゃなかったんだ。
校庭でノムさんを囲んだチームの集合写真が、今でも子ども時代のアルバムに貼ってある。仲間たちの真ん中で照れくさそうに微笑む野村克也氏、当時40歳前後。いつのまにか私も「あの時のおじさん」よりトシをとっていた。