2012.11.22 Thursday
その前の日、藤川球児投手がゴールデンスピリット賞の表彰を受けた(報知)。報知新聞が主催する賞なのでうっかり見落としてしまうところだった(笑)。球児は授賞式のためにあわてて帰国したくらい喜んでいたんだね。ちなみにタイガースからは04年の赤星以来二人目。プロ野球選手だからできること、プロ野球選手にしかできないことをしっかりやっている選手たちは立派だ。
WEBスポルティーバに「阪神は藤浪晋太郎をどう育てるのか?
「藤浪会議」の中味と今後」という記事。
タイガース首脳陣がどういう方針を打ち立てたのかはわからないが、「実戦で使い、一喜一憂せず見守れ」という筆者の結論を支持する。
「育てる」とひとまとめにしてしまうが、少なくとも基礎編と応用編に分けられると思う。一軍選手として大舞台に立つ「資格」を得るのが基礎編。相手との対戦より前段階の問題として、体力と技術を身につけること。ポジションによって難易度が違う。この過程で「プロ野球選手のライセンス」を取得するのだが、これは難しいことじゃない。言われたことを言われたとおりにやっていれば「免許」だけはもらえる。しかしながら、中にはそれに達せず、あるいは適正がなくプロ野球界を去る選手もいくらかはいる。
掃いて捨てるほどいる「免許を持った」プロ野球選手の中から、もう一段上に進む選手は、身体能力なり、技能なり、精神力なり、頭脳なりで突出しているか、将来突出しそうだという素質を見せないといけない。そこが応用編になる。相手との対戦に勝てる力、その素があって、伸ばし方を身につける。相手も必死だから、必ずしも教えられたことを教えられたとおりにできないという世界だ。
「育てる」方法論も応用編に入ると、基本は「実戦経験を与える」「本人が伸び方、伸ばし方を自分で見つけるのを辛抱して待つ」「将来性を見極める」ことになる。もっと先のレベルにまで到達すれば、「小手先のアドバイス」も有効になるだろうが、レギュラーとしての実力を確保するという段階では、とにかく我慢して見守ることしかない。それに値する選手かどうかを常に考えることは大事だが、辛抱しきれなければ「育てる」ことはできない。
阪神は新人を育てられないという。確かに他球団と比べてそういう傾向はある。しかし育てたと言えるような選手もいる。思い出せば、その時、必ずじっとこらえて我慢して使っていた監督がいた。割を食ってはみ出した選手には非情に見えても、自らが矢面に立って「将来のために」志を貫いていた。競争主義、現在の実力も大事だが、将来の姿を見ることができるか。
今年の和田監督はベテラン陣の復調を待とうという姿勢は実に我慢強かった。コレと決めた若手選手にあれができればいいと思う。もっとも今年のアレは、我慢してたわけじゃなくて固まってしまっていただけにも見えたけど。
「ライセンスを持っていて、将来像が描けるような選手は、我慢して実戦で使う」
藤浪、北條に限らず、育てるというのはそういうことだと認識して欲しいと思う。