2007.04.28 Saturday
検索エンジンで「特待生 悪い」で検索すると、10万件以上がヒットする。これについて意見がある人がいかに多いかがわかる。
先日も言ったことだが、私は高野連による野球特待生制度禁止強化の動きを好感している。ただ高野連がどれほどの理念と決意を持って、今回のドタバタを演じているのか、その先に何を目指しているのか、皆目わからんということについては、「どこが悪い?」派の方と同じなんだけどね。
おそらく高野連の思惑は、とりあえず身を清めて夏の大会を乗り切ろう程度だと思うが、この動きから大きく流れが変わってくれることを願っている。
甲子園(高校野球)というシステムが日本の野球を特別にし、ハイレベルな日本の野球の根底を支えて来たのは間違いない。しかしその能力がいかに高くても、「あくまでも教育の一環」というタテマエを崩さず、それによって学校も指導者も「野球指導のプロフェッショナル」としては社会に認知されず、そのギャップを埋めるために「裏金」が動くという存在では現代の価値観にそぐわない。いや露骨な表と裏があっては嫌われるというのは普遍的なことか。
学校が生徒をスカウトして、お金を積む。甲子園で有名になって学校も潤う。いいじゃないかと言ってしまえばそれまでだが、双方がタテマエと違う、不健全なバーター取引を行うというところに問題がある。バーター取引も、悪代官と越後屋がやる分にはかまわないが、学校と生徒の間のバーター取引というのは、社会的認知は得られない。
もともとビジネスとして成立しないような他の競技では、こういうことは起きない。しかし野球の周辺には、常にこんなことばかりが渦巻いている。その繰り返し繰り返しによって、「野球な人」と「野球じゃない人」の間にくっきりとした境界線ができてしまう。野球な人にはメリットがあっても、野球じゃない人には不愉快なことしかないのだから。本来スポーツは、罪のないもの。余暇を楽しいものにすることはあっても、人を不愉快にするようなものであってはいけない。「野球だけは特別」でやっていると、「野球だけは許せない」になりかねない。またこういう野球型システムが、他の競技にも広まるようでは、「スポーツな人」と「スポーツでない人」の対立となり、「スポーツなんてクソくらえ」という声になってしまう。
私がご覧のとおりのタイガース馬鹿でいられるためには、野球がいつまでも存続してもらわなきゃ困るし、野球に限らず、スポーツが社会の中で愛される存在であって欲しいと切に願っている。だから変わっていって欲しいのだ。
そこで今回の高野連の動きがどういう影響を及ぼすか。ひょっとしたら少なからぬ影響があるかも知れない。
一例をあげてみる。勉強は苦手だけど、野球の実力は将来プロ級、家庭は経済的に恵まれない中学生A君がいるとする。今までだったら野球で有名な私立B高校から上げ膳据え膳で迎えられたであろうが、特待生禁止が厳しくなって、それがなくなってしまった。
この状況について意見を求めれば、議論百出になると思う。で、私の意見。どこに問題があるのかというと、せっかく将来プロになれるだけの野球の力を持っているのに、B高校に行けないばかりに正しい指導を受けられないというところなのだと思う。でもさ、総合的な教育機関である一高校に、プロ野球選手になるための指導をまかせちゃっていることがスポーツ振興的には問題なんじゃないのかね。学校は教育を施すのが仕事。スポーツ選手の育成やスポーツ振興はそれを仕事とする機関(地域クラブ)があれば良いだけのこと。現在高校野球で活躍する優秀な指導者は、地域クラブでそのプロの力を発揮するべきだし、優秀なプロ野球選手が生まれることで得をする人たちは、そのクラブを全力で支援すれば良い。A君、クラブで一緒懸命野球を練習しよう。そして社会にはいろんな人がいるということと、一般教養を身につけるのはプロ野球選手にも大切なこと。公立高校で勉強もしっかり頑張れ。
そういう健全な姿に変わっていく一石になれば良いと思う。現実はもっとひね曲がっていくのだろうが…。
今後の方向性として、ユース&ジュニア育成はプロフェッショナル組織(地域クラブ)に移行して行くことがあるべき姿だと思う。学校は教育活動に、企業はビジネスに専心すること。それらがスポーツを通じて地域新興に貢献したいというのなら、地域クラブの活動を支援することで、地域社会の支持を得たら良い。スポーツを食い物にするのではなく、スポーツに与えることで名を上げ、支持を得るようにね。
Jリーグが掲げる「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」という理念に、規模が他の競技をはるかに凌ぐ野球界が賛同し、力を与えれば、日本のスポーツ文化は劇的な変化を見せるだろう。
先日も言ったことだが、私は高野連による野球特待生制度禁止強化の動きを好感している。ただ高野連がどれほどの理念と決意を持って、今回のドタバタを演じているのか、その先に何を目指しているのか、皆目わからんということについては、「どこが悪い?」派の方と同じなんだけどね。
おそらく高野連の思惑は、とりあえず身を清めて夏の大会を乗り切ろう程度だと思うが、この動きから大きく流れが変わってくれることを願っている。
甲子園(高校野球)というシステムが日本の野球を特別にし、ハイレベルな日本の野球の根底を支えて来たのは間違いない。しかしその能力がいかに高くても、「あくまでも教育の一環」というタテマエを崩さず、それによって学校も指導者も「野球指導のプロフェッショナル」としては社会に認知されず、そのギャップを埋めるために「裏金」が動くという存在では現代の価値観にそぐわない。いや露骨な表と裏があっては嫌われるというのは普遍的なことか。
学校が生徒をスカウトして、お金を積む。甲子園で有名になって学校も潤う。いいじゃないかと言ってしまえばそれまでだが、双方がタテマエと違う、不健全なバーター取引を行うというところに問題がある。バーター取引も、悪代官と越後屋がやる分にはかまわないが、学校と生徒の間のバーター取引というのは、社会的認知は得られない。
もともとビジネスとして成立しないような他の競技では、こういうことは起きない。しかし野球の周辺には、常にこんなことばかりが渦巻いている。その繰り返し繰り返しによって、「野球な人」と「野球じゃない人」の間にくっきりとした境界線ができてしまう。野球な人にはメリットがあっても、野球じゃない人には不愉快なことしかないのだから。本来スポーツは、罪のないもの。余暇を楽しいものにすることはあっても、人を不愉快にするようなものであってはいけない。「野球だけは特別」でやっていると、「野球だけは許せない」になりかねない。またこういう野球型システムが、他の競技にも広まるようでは、「スポーツな人」と「スポーツでない人」の対立となり、「スポーツなんてクソくらえ」という声になってしまう。
私がご覧のとおりのタイガース馬鹿でいられるためには、野球がいつまでも存続してもらわなきゃ困るし、野球に限らず、スポーツが社会の中で愛される存在であって欲しいと切に願っている。だから変わっていって欲しいのだ。
そこで今回の高野連の動きがどういう影響を及ぼすか。ひょっとしたら少なからぬ影響があるかも知れない。
一例をあげてみる。勉強は苦手だけど、野球の実力は将来プロ級、家庭は経済的に恵まれない中学生A君がいるとする。今までだったら野球で有名な私立B高校から上げ膳据え膳で迎えられたであろうが、特待生禁止が厳しくなって、それがなくなってしまった。
この状況について意見を求めれば、議論百出になると思う。で、私の意見。どこに問題があるのかというと、せっかく将来プロになれるだけの野球の力を持っているのに、B高校に行けないばかりに正しい指導を受けられないというところなのだと思う。でもさ、総合的な教育機関である一高校に、プロ野球選手になるための指導をまかせちゃっていることがスポーツ振興的には問題なんじゃないのかね。学校は教育を施すのが仕事。スポーツ選手の育成やスポーツ振興はそれを仕事とする機関(地域クラブ)があれば良いだけのこと。現在高校野球で活躍する優秀な指導者は、地域クラブでそのプロの力を発揮するべきだし、優秀なプロ野球選手が生まれることで得をする人たちは、そのクラブを全力で支援すれば良い。A君、クラブで一緒懸命野球を練習しよう。そして社会にはいろんな人がいるということと、一般教養を身につけるのはプロ野球選手にも大切なこと。公立高校で勉強もしっかり頑張れ。
そういう健全な姿に変わっていく一石になれば良いと思う。現実はもっとひね曲がっていくのだろうが…。
今後の方向性として、ユース&ジュニア育成はプロフェッショナル組織(地域クラブ)に移行して行くことがあるべき姿だと思う。学校は教育活動に、企業はビジネスに専心すること。それらがスポーツを通じて地域新興に貢献したいというのなら、地域クラブの活動を支援することで、地域社会の支持を得たら良い。スポーツを食い物にするのではなく、スポーツに与えることで名を上げ、支持を得るようにね。
Jリーグが掲げる「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」という理念に、規模が他の競技をはるかに凌ぐ野球界が賛同し、力を与えれば、日本のスポーツ文化は劇的な変化を見せるだろう。