2007.11.19 Monday
東洋大大場をめぐる抽選必至のドラフトを前日にして、「超能力者とか霊能者とかいたらなあ」だって。
え?言ったの赤松ちゃうの?岡田監督?あ、そう、こらまた…(笑)。
昨日の日曜日はちょっと楽しかった。
天気が良かったので、コンビニでおにぎりを買って、芝生広場のある公園に家族3人で出かける。家人は去年から、キャッチボールに興味を持っている。どうやら速い球を投げたいらしく、やっているとかなり熱が入って来る。夫婦でキャッチボールというのもなかなか良いもんだ。
その一方で私には、息子(小三)がキャッチボールに興味を持って欲しいという願望がある。私に似て、それ程スジは良くないようで、少し前に無理矢理キャッチボールしようと連れ出した時、上手く捕れず、しまいには「だからボクはキャッチボールなんかやりたくなかったんだ」と泣き出す始末。ああこれじゃ逆効果になってしまうと、しばらくはぐっと我慢することにしていた。
だいたい我が家には野球嫌いになる要素が充満している。家人はタイガースを応援しているといったって、所詮はニワカ。別に野球の深いところに関心があるわけでもなく、単に「シモかっこいい」「矢野ちゃんステキ」と言っているだけである(笑)。だから下柳登板試合以外では、「毎日野球野球…」と愚痴っている。息子も表立っては言わないが、少なからず毎夜毎夜TVが野球に占領されることに不満があるのだろう。私もできるだけファミリーで楽しめるようなクイズ系のTV番組がある時などは、苦悶の表情を浮かべながらみんなでそっちを見るようにしたり、小さな努力はしているのだが、おそらく他の家族はその倍、3倍のストレスを感じているのかも知れない(笑)。先日、バレーボールでみたい番組がつぶれることを知った時に息子が発した「スポーツなんてなきゃいいのに!」というセリフが実にショッキングだった。ああこのスポーツ好きの父親の子がなぜこんなことに…。その「スポーツ」の中には野球も含まれているんだ…と。
まあここで焦ってもしかたない、見るにしてもプレーするにしても、自分が楽しんでいる様子を見ていれば、そのうち興味をしめすだろうと思うことにしていた。昨日も、無理にはやらせず、ひたすら夫婦でビシビシ投げ合っていて、息子は勝手にあちこち走り回ったり、探索したり。
そのうち、珍しく他の子と遊んでいる様子。しかも女の子、これはなかなか珍しい良い光景だな、と温かな目で見守っていると、どうも決まりが悪そうにも見える。親の目もあって、照れているのかな?戻って来た時に聞いてみると、たまたま来ていた同じクラスの子だという。それではってんで、そろってご挨拶をすると、まあ自然な流れでご婦人たちのおしゃべりが始まる。そうなると野郎はなんとも居心地が悪くなっちゃうもんで、そこはそれ男同士のあうんの呼吸で、「グローブ持っといで」「うん」と、その決まりの悪さを避けるために、ごく自然に親子のキャッチボールが始まる。
しばらくぶりのキャッチボールだったが、少しはマシになっていた。学校でドッジボールをやることがあるらしいので、球技の基礎がようやくできてきたのかな。良い球を投げた時、上手く捕球できた時に褒めてやると嬉しそうに笑った。
それでもグラブにきちっとおさまるのは二度に一度くらい。「ああ、もう!」と集中が切れそうになる息子。こっちも心中「なんでそんなのが捕れんかな」と思いながら、グッとこらえて、うん、うんと無言でうなづき、辛抱強さをことさらに見せつける(笑)。
ほどなく家人も戻ったので、三角形になってボールまわしをすることにした。これが意外と楽しい。右手にいる相手の球を受けて、素速く左手の相手に投げる。ちょうど「6−4−3」の4の動きね。リズムにのってぽんぽんと回せると良いのだけど、ちょっと集中が欠けると、まったく上手くいかなくなっちゃう息子。よーし、10回続けるぞ!1,2,3…ああ、よしもう一度初めから!1,2,3,4…。何度も失敗したあと、プレッシャーを感じながらようやく10まで数えられた時は、かなり嬉しかったぞ(笑)。
さあ、これで楽しい経験のスタートになった。そろそろ帰ろうか?「うーん…もっとやりたい!」(キター!の気持ちを顔に出さないようにしながら)「そうか。じゃ、もうちょっとだけやろうか(本当は、いくらでもやってやりたいんだけどな)」。
一度集中が切れたので、また少し練習の時間は必要だったけど、最終的には20も数えられた。捕球の成功率も7割くらいには上がって来ただろう。
子どもにとっては、キャッチボールが上手くなりたいなんてことは後からついてくること。誰かと一緒に、楽しい体験さえできたら、どんどん興味が湧いてくるし、興味さえ涌いてくれば、頭にも身体にもどんどん情報が染み込んでくる。
「お父さんボク上手くなった?」「すごく上手くなった」「本当?今度またやりたい!」と、その日は一日中同じ話が繰り返されることになったが、喜び以外のなにものでもないよ。実にささやかなことだけど、私にとってはちょっとした記念日だった。
え?言ったの赤松ちゃうの?岡田監督?あ、そう、こらまた…(笑)。
昨日の日曜日はちょっと楽しかった。
天気が良かったので、コンビニでおにぎりを買って、芝生広場のある公園に家族3人で出かける。家人は去年から、キャッチボールに興味を持っている。どうやら速い球を投げたいらしく、やっているとかなり熱が入って来る。夫婦でキャッチボールというのもなかなか良いもんだ。
その一方で私には、息子(小三)がキャッチボールに興味を持って欲しいという願望がある。私に似て、それ程スジは良くないようで、少し前に無理矢理キャッチボールしようと連れ出した時、上手く捕れず、しまいには「だからボクはキャッチボールなんかやりたくなかったんだ」と泣き出す始末。ああこれじゃ逆効果になってしまうと、しばらくはぐっと我慢することにしていた。
だいたい我が家には野球嫌いになる要素が充満している。家人はタイガースを応援しているといったって、所詮はニワカ。別に野球の深いところに関心があるわけでもなく、単に「シモかっこいい」「矢野ちゃんステキ」と言っているだけである(笑)。だから下柳登板試合以外では、「毎日野球野球…」と愚痴っている。息子も表立っては言わないが、少なからず毎夜毎夜TVが野球に占領されることに不満があるのだろう。私もできるだけファミリーで楽しめるようなクイズ系のTV番組がある時などは、苦悶の表情を浮かべながらみんなでそっちを見るようにしたり、小さな努力はしているのだが、おそらく他の家族はその倍、3倍のストレスを感じているのかも知れない(笑)。先日、バレーボールでみたい番組がつぶれることを知った時に息子が発した「スポーツなんてなきゃいいのに!」というセリフが実にショッキングだった。ああこのスポーツ好きの父親の子がなぜこんなことに…。その「スポーツ」の中には野球も含まれているんだ…と。
まあここで焦ってもしかたない、見るにしてもプレーするにしても、自分が楽しんでいる様子を見ていれば、そのうち興味をしめすだろうと思うことにしていた。昨日も、無理にはやらせず、ひたすら夫婦でビシビシ投げ合っていて、息子は勝手にあちこち走り回ったり、探索したり。
そのうち、珍しく他の子と遊んでいる様子。しかも女の子、これはなかなか珍しい良い光景だな、と温かな目で見守っていると、どうも決まりが悪そうにも見える。親の目もあって、照れているのかな?戻って来た時に聞いてみると、たまたま来ていた同じクラスの子だという。それではってんで、そろってご挨拶をすると、まあ自然な流れでご婦人たちのおしゃべりが始まる。そうなると野郎はなんとも居心地が悪くなっちゃうもんで、そこはそれ男同士のあうんの呼吸で、「グローブ持っといで」「うん」と、その決まりの悪さを避けるために、ごく自然に親子のキャッチボールが始まる。
しばらくぶりのキャッチボールだったが、少しはマシになっていた。学校でドッジボールをやることがあるらしいので、球技の基礎がようやくできてきたのかな。良い球を投げた時、上手く捕球できた時に褒めてやると嬉しそうに笑った。
それでもグラブにきちっとおさまるのは二度に一度くらい。「ああ、もう!」と集中が切れそうになる息子。こっちも心中「なんでそんなのが捕れんかな」と思いながら、グッとこらえて、うん、うんと無言でうなづき、辛抱強さをことさらに見せつける(笑)。
ほどなく家人も戻ったので、三角形になってボールまわしをすることにした。これが意外と楽しい。右手にいる相手の球を受けて、素速く左手の相手に投げる。ちょうど「6−4−3」の4の動きね。リズムにのってぽんぽんと回せると良いのだけど、ちょっと集中が欠けると、まったく上手くいかなくなっちゃう息子。よーし、10回続けるぞ!1,2,3…ああ、よしもう一度初めから!1,2,3,4…。何度も失敗したあと、プレッシャーを感じながらようやく10まで数えられた時は、かなり嬉しかったぞ(笑)。
さあ、これで楽しい経験のスタートになった。そろそろ帰ろうか?「うーん…もっとやりたい!」(キター!の気持ちを顔に出さないようにしながら)「そうか。じゃ、もうちょっとだけやろうか(本当は、いくらでもやってやりたいんだけどな)」。
一度集中が切れたので、また少し練習の時間は必要だったけど、最終的には20も数えられた。捕球の成功率も7割くらいには上がって来ただろう。
子どもにとっては、キャッチボールが上手くなりたいなんてことは後からついてくること。誰かと一緒に、楽しい体験さえできたら、どんどん興味が湧いてくるし、興味さえ涌いてくれば、頭にも身体にもどんどん情報が染み込んでくる。
「お父さんボク上手くなった?」「すごく上手くなった」「本当?今度またやりたい!」と、その日は一日中同じ話が繰り返されることになったが、喜び以外のなにものでもないよ。実にささやかなことだけど、私にとってはちょっとした記念日だった。