2008.01.12 Saturday
この際、殿堂のなんたるかについてはウィキペディアあたりでさらっとおさらいしておくとして、ここ数年覚える感想を今年も持つ。「現役時代を良く知る選手たちが殿堂入りするようになったなぁ、トシとったなぁ」(笑)。
山本浩二は今で言うアスリート系の外野手。もちろんパワーと確実性を兼ね備えた打撃も凄かったが、守備も走塁も素晴らしかった。弱いカープを強くした一人であり、まさに殿堂入りに相応しい選手だったと思う。
堀内恒夫については、本当に凄かったという出始めの数年を知らないが、それでもV9末期もエースとしてそれなりの存在感があった。晩年、名球会入りに四苦八苦していたり、リリーフにまわって辛い思いをしながらも「堀内の堀内たる所以」を見せつけるような、内に直球、外にカーブという緩急のある投球に矜持を見た。
でも今回の殿堂入り発表で一番の感動は、嶋清一という伝説の投手を初めて知ったということ。不勉強なのは自覚していたが、野球好きとして恥ずかしい限り。
和歌山・海草中(現向陽高)のエースとして、1939年(昭和14年)今でいう夏の甲子園で、全5試合を完封勝利。しかも準決勝・決勝ともにノーヒットノーラン!
その後、明治大学に進学するが、戦火が激しくなり学徒出陣。同じような話を多く聞くが、出陣前には結婚もしている。1943年12月に海軍に召集される。1945年3月29日、ベトナム沖で魚雷を受け24才の若さで戦死。終戦まであと5ヶ月だったという。
ここまでのまとめで参考にした、スポニチの記事は、単に嶋清一という人物の紹介にとどまらない、優れた記事だと思う。
一人の人間が死して63年が経とうとして、なお残された者の中にこれほど大きな感慨をもたらすのか。人の成し得ることの大きさ、そして同じく人が成した戦争の愚かしさ、それに対する怒り。野球殿堂を通して知ることができたことに感謝したい。
ぜひご一読を。
→ 平和の象徴・嶋清一投手が殿堂入り(スポニチ)
山本浩二は今で言うアスリート系の外野手。もちろんパワーと確実性を兼ね備えた打撃も凄かったが、守備も走塁も素晴らしかった。弱いカープを強くした一人であり、まさに殿堂入りに相応しい選手だったと思う。
堀内恒夫については、本当に凄かったという出始めの数年を知らないが、それでもV9末期もエースとしてそれなりの存在感があった。晩年、名球会入りに四苦八苦していたり、リリーフにまわって辛い思いをしながらも「堀内の堀内たる所以」を見せつけるような、内に直球、外にカーブという緩急のある投球に矜持を見た。
でも今回の殿堂入り発表で一番の感動は、嶋清一という伝説の投手を初めて知ったということ。不勉強なのは自覚していたが、野球好きとして恥ずかしい限り。
和歌山・海草中(現向陽高)のエースとして、1939年(昭和14年)今でいう夏の甲子園で、全5試合を完封勝利。しかも準決勝・決勝ともにノーヒットノーラン!
その後、明治大学に進学するが、戦火が激しくなり学徒出陣。同じような話を多く聞くが、出陣前には結婚もしている。1943年12月に海軍に召集される。1945年3月29日、ベトナム沖で魚雷を受け24才の若さで戦死。終戦まであと5ヶ月だったという。
ここまでのまとめで参考にした、スポニチの記事は、単に嶋清一という人物の紹介にとどまらない、優れた記事だと思う。
一人の人間が死して63年が経とうとして、なお残された者の中にこれほど大きな感慨をもたらすのか。人の成し得ることの大きさ、そして同じく人が成した戦争の愚かしさ、それに対する怒り。野球殿堂を通して知ることができたことに感謝したい。
ぜひご一読を。
→ 平和の象徴・嶋清一投手が殿堂入り(スポニチ)