2008.04.15 Tuesday
星野ジャパン監督が自身のHPで、来年の第2回WBCについてい、「北京が終ったらそれはそれで、今度は次は、もっと若い監督、若いスタッフでことに当たっていくべき」と述べている(リンク)。
もっともな意見だと思う一方、「球界の内外をよく見れば、他に何人もの人材もいる」という点については、本当にそうなのか確信が持てない。
日本野球の頂点は12球団から成るNPBで、そこには12人の監督がいて、評価の高い監督は長きに渡りその職にあり続けている。その12しかないポストが空くのを待っている人は、評論家や解説者という職に就いたり、あるいは二軍の指導者であったりするのだが、それらの人たちが今現在どれほどの能力を持っているのかは想像するしかない。
そして重大なことは12しかないポストの内、3つはアメリカ人を招いているということ。監督になりたい人はいくらでもいるだろうし、星野氏によればその人材もたくさんいるというのにヘンな話だと思う。
アメリカは指導者と言えども、マイナーから勝ち上がって来ないと評価されないという。マイナーの末端から、学生、リトルリーグにいたるまで、指導者としてのチャンスはいくらでもあり、力さえあればどこまでも上がっていけるような形があるという。
NPBの球団がアメリカ人監督を招くのも、その実績、やり方が明確であり、自分のチームに必要かどうかの判断がしやすいということも大きいだろう。
言いたいことは、日本代表チームというトップチームはもちろんのこと、NPBの監督でさえ、その適任者を育成したり、能力を明らかにするような場があまりにもなさすぎるということだ。ましてやマスメディアの野球離れがじわじわと進行する中で、評論家、解説者の働き場も減っているとなると、ますます指導者育成システムがガタガタになる。
12球団だけのプロ野球ですべてを解決しようとするから無理がある。阪神を辞めた野村克也氏が社会人のシダックスで監督をしていた時があったが、社会人、クラブチーム、独立リーグ、できることなら大学、高校…。指導者がその実力に応じたステージで力を発揮できるような仕組みがあれば、ずいぶんと様子が違うだろう。
「名選手が名監督とは限らない」なんていう当たり前すぎることを、昔から言い続けているワリには、ネームバリューのある「かつての名選手」ばかりが監督になる状況はあまり変わらない。このへんも「プロ野球興業の興行主」的発想から脱却できないことの弊害だろうと思う。
日本野球の頂点は12球団から成るNPBで、そこには12人の監督がいて、評価の高い監督は長きに渡りその職にあり続けている。その12しかないポストが空くのを待っている人は、評論家や解説者という職に就いたり、あるいは二軍の指導者であったりするのだが、それらの人たちが今現在どれほどの能力を持っているのかは想像するしかない。
そして重大なことは12しかないポストの内、3つはアメリカ人を招いているということ。監督になりたい人はいくらでもいるだろうし、星野氏によればその人材もたくさんいるというのにヘンな話だと思う。
アメリカは指導者と言えども、マイナーから勝ち上がって来ないと評価されないという。マイナーの末端から、学生、リトルリーグにいたるまで、指導者としてのチャンスはいくらでもあり、力さえあればどこまでも上がっていけるような形があるという。
NPBの球団がアメリカ人監督を招くのも、その実績、やり方が明確であり、自分のチームに必要かどうかの判断がしやすいということも大きいだろう。
言いたいことは、日本代表チームというトップチームはもちろんのこと、NPBの監督でさえ、その適任者を育成したり、能力を明らかにするような場があまりにもなさすぎるということだ。ましてやマスメディアの野球離れがじわじわと進行する中で、評論家、解説者の働き場も減っているとなると、ますます指導者育成システムがガタガタになる。
12球団だけのプロ野球ですべてを解決しようとするから無理がある。阪神を辞めた野村克也氏が社会人のシダックスで監督をしていた時があったが、社会人、クラブチーム、独立リーグ、できることなら大学、高校…。指導者がその実力に応じたステージで力を発揮できるような仕組みがあれば、ずいぶんと様子が違うだろう。
「名選手が名監督とは限らない」なんていう当たり前すぎることを、昔から言い続けているワリには、ネームバリューのある「かつての名選手」ばかりが監督になる状況はあまり変わらない。このへんも「プロ野球興業の興行主」的発想から脱却できないことの弊害だろうと思う。