2008.06.11 Wednesday
Bs死球の大引が骨折で抹消だとか(スポニチ)。
久保田の投球は確かにぶつかるような場所に放っていたが、通常であれば避けられない程ではなかったように見えた。点差のある中、チャンスメークしようとナイスアイディアのセーフティバントを試みたタイミングと本当に運悪く合ってしまった。
しかし先日のF高橋(藤川からの死球で骨折)の件もあったばかりで余計に心苦しく、ともかく早い回復を願う。
死球による故障は本当に気が滅入る。選手を一定期間出場できなくさせるのだから、その選手やチームにとって大損害。時には直接的、間接的に、選手生命を奪うことだってある。しかしながらこれはルールの範囲内の出来事として処理され、誰もその損害を賠償することになっていない。自衛より他に手段がない。
だからこそ「故意」と思われるような死球については、ルールの上でも、それ以外でも、絶対に起こらないようにしておかなければいけない。その流れの中で、アメリカのストライクゾーンは少しずつ「低く外へ」ずれていったという。
とにかくインコースのボールを投げるということは、一人の選手を殺しかねないという意識を持って、魂を込めて投げ込まなきゃいけない。外に外す分にはいくら外れてもOKだが、内に外すつもりなら確かな技術がなければ投げる資格がない。
そこで思い出したのが、以前聞いたピアニストの話(ピアノ奥義と合気道講習と)。彼は高音を弾く時、魂を込めて弾くのだとか。「高いところをテキトーに弾くピアニストは信用できない」と言っていた。曰く、確かにピアノの場合は鍵盤を叩けば音は出る。そこにものすごく特別な技術が必要とされるわけじゃない。しかしピアノ以外のほとんどの楽器では、最高音部を美しく響かせるためにどれだけの努力と練習が必要なのか考えなきゃいけない。バイオリンの高音なんてそう簡単に出ない。管楽器の場合はどれだけ息が苦しいことか。ギターだってあんなに狭いフレットで指を動かさなきゃいけない。歌なんて、どれだけ体を鍛えて血の滲むような努力をしているか。それを思ったら、高音を安易に叩いてはいけないのだ。そんなことを言っていた。
投手で言えばインコースがまさに「ピアニストの高音」なのだと思う。別の場所と同じように安易に投げることもできるが、そこに技術に裏打ちされた魂のこもった球を投げ込まなければ信用されない。素晴らしいインコースのボールには人を感動させる力がある。それはそんな理由からかも知れない。
タイガースに限らず、投手たちにはそういうプロのインコースを見せて欲しいと思う。
しかし先日のF高橋(藤川からの死球で骨折)の件もあったばかりで余計に心苦しく、ともかく早い回復を願う。
死球による故障は本当に気が滅入る。選手を一定期間出場できなくさせるのだから、その選手やチームにとって大損害。時には直接的、間接的に、選手生命を奪うことだってある。しかしながらこれはルールの範囲内の出来事として処理され、誰もその損害を賠償することになっていない。自衛より他に手段がない。
だからこそ「故意」と思われるような死球については、ルールの上でも、それ以外でも、絶対に起こらないようにしておかなければいけない。その流れの中で、アメリカのストライクゾーンは少しずつ「低く外へ」ずれていったという。
とにかくインコースのボールを投げるということは、一人の選手を殺しかねないという意識を持って、魂を込めて投げ込まなきゃいけない。外に外す分にはいくら外れてもOKだが、内に外すつもりなら確かな技術がなければ投げる資格がない。
そこで思い出したのが、以前聞いたピアニストの話(ピアノ奥義と合気道講習と)。彼は高音を弾く時、魂を込めて弾くのだとか。「高いところをテキトーに弾くピアニストは信用できない」と言っていた。曰く、確かにピアノの場合は鍵盤を叩けば音は出る。そこにものすごく特別な技術が必要とされるわけじゃない。しかしピアノ以外のほとんどの楽器では、最高音部を美しく響かせるためにどれだけの努力と練習が必要なのか考えなきゃいけない。バイオリンの高音なんてそう簡単に出ない。管楽器の場合はどれだけ息が苦しいことか。ギターだってあんなに狭いフレットで指を動かさなきゃいけない。歌なんて、どれだけ体を鍛えて血の滲むような努力をしているか。それを思ったら、高音を安易に叩いてはいけないのだ。そんなことを言っていた。
投手で言えばインコースがまさに「ピアニストの高音」なのだと思う。別の場所と同じように安易に投げることもできるが、そこに技術に裏打ちされた魂のこもった球を投げ込まなければ信用されない。素晴らしいインコースのボールには人を感動させる力がある。それはそんな理由からかも知れない。
タイガースに限らず、投手たちにはそういうプロのインコースを見せて欲しいと思う。