2008.06.21 Saturday
やる方も見る方も、「過去」に支配されるスポーツ、野球。その競技の性格上、「記憶」「ノスタルジー」「記録」は常に楽しむ上でのキーワードである。
日本プロ野球は、それを疎かにしてしまった。他のエンターテインメントと同じように、常に「新鮮」であるべきだと、そればかりに気を取られ、野球の本質を見失った経営努力とファンサービスに走ってしまった。過去を疎かにする行為がもっともファンの心を離してしまうということに気づくのがあまりにも遅すぎたように思う。
経営難からの生き残りを賭けたオリックスと近鉄の球団合併。1+1が2にならないところまでは予測していただろうが、1+1が1より小さくなってしまうことまでは予測していなかっただろう。そのすべての理由がそこにあるとは言わないが、両球団のファンたちの「過去を踏みにじられる悲しさ」にまで想像力が働かなかったのだろう。
できることなら楽天イーグルスの「拡張」が行われた際に、近鉄バファローズのフランチャイズ・ヒストリーを引き継ぐという特別措置があったらよかったのに、と思う。厳密には別組織、別会社ではあっても、その経緯から「歴史を自分のものにして良い権利」を付与しても良かったと思う。それに似たようなことは、NFLのクリーブランド・ブラウンズでもあったし、三井住友銀行とわかしお銀行の合併だってそんなようなものだろう(まあどっちもスジが違うと言えば違うんだけど)。
そうすれば企業としての「近鉄バファローズ」が消滅しても、その歴史が絶たれることはなかったのに。
さて、埼玉西武ライオンズが西鉄ライオンズ時代のユニフォームを着てプレーするということは前に伝えたとおりだが、球団はこれを単なる復刻ユニイベントとせず、「ライオンズ・クラシック」と銘打った歴史復興の一大イベントとするようなのだ。
→ライオンズ・クラシック公式ページ
このイベントとその背景について、講師として協力する綱島理友さんのメルマガを全文引用する。まだお断りしてないけど(笑)。
なお、このメルマガは「綱島プロ野球研究所」で登録すると読める。
日本プロ野球は、それを疎かにしてしまった。他のエンターテインメントと同じように、常に「新鮮」であるべきだと、そればかりに気を取られ、野球の本質を見失った経営努力とファンサービスに走ってしまった。過去を疎かにする行為がもっともファンの心を離してしまうということに気づくのがあまりにも遅すぎたように思う。
経営難からの生き残りを賭けたオリックスと近鉄の球団合併。1+1が2にならないところまでは予測していただろうが、1+1が1より小さくなってしまうことまでは予測していなかっただろう。そのすべての理由がそこにあるとは言わないが、両球団のファンたちの「過去を踏みにじられる悲しさ」にまで想像力が働かなかったのだろう。
できることなら楽天イーグルスの「拡張」が行われた際に、近鉄バファローズのフランチャイズ・ヒストリーを引き継ぐという特別措置があったらよかったのに、と思う。厳密には別組織、別会社ではあっても、その経緯から「歴史を自分のものにして良い権利」を付与しても良かったと思う。それに似たようなことは、NFLのクリーブランド・ブラウンズでもあったし、三井住友銀行とわかしお銀行の合併だってそんなようなものだろう(まあどっちもスジが違うと言えば違うんだけど)。
そうすれば企業としての「近鉄バファローズ」が消滅しても、その歴史が絶たれることはなかったのに。
さて、埼玉西武ライオンズが西鉄ライオンズ時代のユニフォームを着てプレーするということは前に伝えたとおりだが、球団はこれを単なる復刻ユニイベントとせず、「ライオンズ・クラシック」と銘打った歴史復興の一大イベントとするようなのだ。
→ライオンズ・クラシック公式ページ
このイベントとその背景について、講師として協力する綱島理友さんのメルマガを全文引用する。まだお断りしてないけど(笑)。
なお、このメルマガは「綱島プロ野球研究所」で登録すると読める。
メールマガジンをはじめようと思ったとたんに、大きい仕事が入ってきてしまいました。
みなさんもご存知だと思いますが、埼玉西武ライオンズが西鉄時代のユニフォームを着て公式戦を戦うライオンズ・クラシックというイベントが6月28日からスタートします。
そのイベントの中で企画されている「ライオンズ史研究室」の講師をすることになりました。
http://www.seibulions.jp/news/detail/418.html
ここ数日、その準備に追われています。
これまで西鉄時代をシャットアウトしてきた西武ライオンズが、西鉄時代の歴史を自らの球団史に連結してイベントを行なう今回の企画は画期的です。
以前、週刊ベースボールの連載「ベースボール意匠学」で、「山が動いた」と書きましたが、今は本当に動いてしまったのだなぁと感慨深い気分になっています。
「プロ野球ユニフォーム物語」の連載を週刊ベースボールではじめたときに、いつも思っていたのが、この連載を将来まとめることで、日本プロ野球界がないがしろにしてきた自らの歴史について、振り向いてくれるようになったらなぁ……、ということでした。
そしていちばんの夢として心に描いていたのが、西武ライオンズが西鉄ライオンズのユニフォームを着てプレイをしてくれることだったのです。
あの伝説の野武士軍団西鉄ライオンズが現在のプロ野球から繋がりを絶たれてしまっている現実はさびしい話です。
しかし実はこれがいちばん難しいことではないかとも思っていました。
西武ライオンズが福岡時代を自らの歴史から断ち切ってきたのには、それなりの理由がありました。
言うまでもありませんが、その最大の理由は1969年に発覚した、プロ野球界の黒い霧事件です。
これはプロ野球の信用が地に落ちた事件でした。いちばんの当事者となったのが西鉄ライオンズで、エースを含む四人が永久追放処分となりました。その結果、西鉄は球団を持っていること自体が会社のイメージダウンにつながるという事態になり、球団を投げ出すような形でプロ野球界から身を引きました。
地元に球団を引き受けてくれる企業もなかったため、球団を継続するためにパ・リーグの内部から設立されたのが福岡野球株式会社でした。そしてネーミングライツ球団の太平洋クラブライオンズをスタートさせます。しかし人気低迷は続き、しかも福岡市から平和台球場の使用料の値上げまで通告され、負債はどんどん膨らんでいくばかり。地元自治体からは見放され、ファンも球場にやって来ない。そんな福岡からそっぽを向かれたライオンズが負債10億を超えたところで、助けを求めたのが西武鉄道の堤義明社長でした。
そして球団は埼玉所沢に移転。西武ライオンズが誕生します。
黒い霧事件以来しみついた球団のダーティなイメージ、福岡から球団を奪ったと非難する人々の声など、西武ライオンズは新しくスタートを切るにあたって、すべての負のスパイラルを断ち切るために過去の歴史と縁を切ります。
これは当時の状況を考えれば、止むを得ない処置だったようにも思えます。
しかしそんな中でもライオンズというニックネームだけは残りました。黒い霧事件の後遺症はすぐにでも消し去りたいが、1950年代の栄光の野武士軍団に対する敬意はある。当時の野球雑誌の記事に、球団関係者がそれを匂わす発言をしています。
ま、おそらく当時の球団の関係者の間には時がくれば、というコンセンサスはあったのかもしれません。
しかし時間がたつにつれて、西武ライオンズが過去の歴史をスパッと切った事実のみがひとり歩きをはじめます。身売りした球団を買い取った企業は、それ以前の過去の歴史については無視してもかまわない。その結果、自分たちが球団を買い取ったときから歴史がスタートするという歴史認識が主流を占めていきます。
あのオリックスの近鉄バファローズ買収も、こういう考え方がベースにあったから実行されてしまったような気がします。
そしてライオンズも世代交代が進み、過去のコンセンサスが完全に消えてしまったように見えた時期もありました。
しかしここにきて、大きな山は自ら動いてくれました。
球団から今回の企画は当初、あの稲尾和久さんに相談していたという話を聞きました。しかし稲尾さんは昨年の11月に亡くなられてしまいました。ライオンズ・クラシックの企画が発表されたとき、これを稲尾さんが知ったら喜んだだろうなぁと思ったのですが、企画が行なわれることを知っておられたというのは、ちょっと救われた気分になりました。
とにかく私が夢に描いていたことが形となりました。
ライオンズ・クラシックというイベントには出来る限りの協力をしたいと思っています。