2008.06.20 Friday
「投球間隔」というシンキングタイムを使って、配球、狙い球の予測、守備位置…そういった個々の戦術を選択する。その判断プロセスの大半は、現在置かれている状況と過去にあったこととを照らし合わせて、より好結果を導きやすい確率を求める作業に当てられていることだろう。それをベースに「ウラをかく」「ウラのウラをかく」「ウラの…(略)」となっていったり、逆にまったくの新発想を取り入れたりということになっていくわけで、いずれにせよ野球の戦術選択は過去に支配されているという言い方は可能だと思う。
当然見ている側も、意識しているしていないの差こそあれ、同じことが言える。長年野球を見続けている人の大半は、1球1球、次に捕手がどういう球を要求するのかをクイズ番組を見ているかのように予想しながら、やれ「そこじゃない」だの「弱気すぎる」だの言っている。それもほとんどが野球を見続けて来た過去の蓄積から判断しているのだろう。まあ何十年見続けていようと、所詮はただ見てるだけなので、その過去の蓄積もいい加減な保存状態でしかないから、判断自体もいい加減なものなんだけどね(笑)。
もちろんそんな面倒なことは関係なく、選手の「心技体」を楽しむも良し、スタジアムそのものを楽しむも良し、どんな楽しみ方もアリなのだが、ずっと見続けることで、楽しみ方がより豊かになるというのはあると思う。
その1球1球に、過去との関わりを続ける作業は、やがて思い出の蓄積に繋がっていく。記録&記憶、シンキングタイムの積み重ねが、野球を「思い出のスポーツ」や「ノスタルジックなスポーツ」にしていく。
これまで日本プロ野球は、衰退が叫ばれる中でもがいて、焦って、わけがわからなくなっていた。どうしたら子どもや若者、女性を取り込めるか。その答えを、ありとあらゆる流行に求めようとして、右に行ったり左に行ったり、逆立ちしたりして見た。その効果は少しずつ出ているようでもあり、まったく関係ないようでもあり、モノによっていろいろなんだろう。しかし一つ忘れていたことに気付きつつあるというのは言えるようだ。
野球界が常に羨ましく思ってきた、外界のありとあらゆる「清新な流行」の多くは、やがて根づくことなく消えていったり、簡単に形を変えていったりするのである。流行から定着へ、そして伝統へ。「流行」の側から見れば、歴史と伝統があるということは羨ましいことなのだろうと思う。
6月6日、甲子園で行われたタイガース対ホークス戦で、ソフトバンク・ホークスは、前身である南海ホークス時代のユニフォームを着て戦うというイベントを行った。かつての本拠地に近い甲子園球場には、古い南海ホークスファンが多く集まった。
あちこちでその時の様子を知るにつけ、プロ野球界が見落としてきたもの、再発見すべきこと、普段からやっていかなければいけないことを改めて考え直す機会を得たような気がした。
週刊ベースボール、綱島理友さんの連載コラムでイラストを書いているグラフィックデザイナーrockwellことイワヰマサタカさんは、綱島ボブルヘッズ(関西)の仲間。古くからのホークスファンだ。今回アップされたスペシャルコンテンツの中の一文を読んで、大阪のホークスファン、古い南海ファンの皆さんが、どれほど感激されたかわかって、こっちまで胸がいっぱいになる(一部抜粋、ぜひ全文を読んでね)。
こういうイベント一つだけを取り上げて、過度に騒ぎ立てるべきではないとは思う。しかし、まったく自己主張のないような南海ホークスのユニフォームは、私に優しく囁いているように思える。あくまでも落ち着いた深い緑色、あくまでもシンプルなデザイン。この格好良さが「価値とは何か」を語っているように思えて仕方ない。
この話つづく。
当然見ている側も、意識しているしていないの差こそあれ、同じことが言える。長年野球を見続けている人の大半は、1球1球、次に捕手がどういう球を要求するのかをクイズ番組を見ているかのように予想しながら、やれ「そこじゃない」だの「弱気すぎる」だの言っている。それもほとんどが野球を見続けて来た過去の蓄積から判断しているのだろう。まあ何十年見続けていようと、所詮はただ見てるだけなので、その過去の蓄積もいい加減な保存状態でしかないから、判断自体もいい加減なものなんだけどね(笑)。
もちろんそんな面倒なことは関係なく、選手の「心技体」を楽しむも良し、スタジアムそのものを楽しむも良し、どんな楽しみ方もアリなのだが、ずっと見続けることで、楽しみ方がより豊かになるというのはあると思う。
その1球1球に、過去との関わりを続ける作業は、やがて思い出の蓄積に繋がっていく。記録&記憶、シンキングタイムの積み重ねが、野球を「思い出のスポーツ」や「ノスタルジックなスポーツ」にしていく。
これまで日本プロ野球は、衰退が叫ばれる中でもがいて、焦って、わけがわからなくなっていた。どうしたら子どもや若者、女性を取り込めるか。その答えを、ありとあらゆる流行に求めようとして、右に行ったり左に行ったり、逆立ちしたりして見た。その効果は少しずつ出ているようでもあり、まったく関係ないようでもあり、モノによっていろいろなんだろう。しかし一つ忘れていたことに気付きつつあるというのは言えるようだ。
野球界が常に羨ましく思ってきた、外界のありとあらゆる「清新な流行」の多くは、やがて根づくことなく消えていったり、簡単に形を変えていったりするのである。流行から定着へ、そして伝統へ。「流行」の側から見れば、歴史と伝統があるということは羨ましいことなのだろうと思う。
6月6日、甲子園で行われたタイガース対ホークス戦で、ソフトバンク・ホークスは、前身である南海ホークス時代のユニフォームを着て戦うというイベントを行った。かつての本拠地に近い甲子園球場には、古い南海ホークスファンが多く集まった。
あちこちでその時の様子を知るにつけ、プロ野球界が見落としてきたもの、再発見すべきこと、普段からやっていかなければいけないことを改めて考え直す機会を得たような気がした。
週刊ベースボール、綱島理友さんの連載コラムでイラストを書いているグラフィックデザイナーrockwellことイワヰマサタカさんは、綱島ボブルヘッズ(関西)の仲間。古くからのホークスファンだ。今回アップされたスペシャルコンテンツの中の一文を読んで、大阪のホークスファン、古い南海ファンの皆さんが、どれほど感激されたかわかって、こっちまで胸がいっぱいになる(一部抜粋、ぜひ全文を読んでね)。
選手個々はソフトバンクホークスの選手だ。だがそんな事はこの空間では関係なかった…。
俺たちの南海ホークスが還ってきたんだ…。
試合が始まると「ここは大阪球場のライトスタンドか?」と錯覚を起こした。
こういうイベント一つだけを取り上げて、過度に騒ぎ立てるべきではないとは思う。しかし、まったく自己主張のないような南海ホークスのユニフォームは、私に優しく囁いているように思える。あくまでも落ち着いた深い緑色、あくまでもシンプルなデザイン。この格好良さが「価値とは何か」を語っているように思えて仕方ない。
この話つづく。