2008.11.26 Wednesday
パイレーツがインド人投手2人とマイナー契約?(サンスポ)
面白い。まあなんてったってインドは人口爆発中だからね。目の付け所は良いかも知れない。なんとなく野球と動きが似ているクリケットやホッケーが盛んだから野球もやってみない?(笑)両方とも槍投げ選手だったんだって、なるほど。
WBCについて考える時に、野球に国際大会は必要か?という問題にぶち当たる。これって実は一番重要な問題で、簡単に答えが出るものではないと思う。
前にも書いたが、元々はプロの兵士が、平時のひまつぶし(兼訓練)として流行したのが野球。だから内輪の世界でやるのが当たり前。サッカーの方は、民衆が戦争やけんかの代替品としてやったものだから、地域対抗や国別対抗が当たり前。その違いが文化の違いだと歴史的に言えると思う。
どの国(アメリカ、日本、韓国、台湾)のプロ野球も、国際化などなかった時に「興業的黄金期(実際のところは何をもってそうするのかハッキリしないからわからないけど)」があったということも「国際大会不要論」の源流となる。
野球は毎日のように試合ができる。だからそれで客が呼べるのなら、とっても儲かる興業だ。その興業主にとって、またその興業から収入を得る者にとって、興業こそが一番大事なものである。やっている方がそう思っているのだから、見ている方だって当然そう思う。
日本プロ野球の興業的黄金期は、まさに「野球鎖国」の最中だったとされている。国が比較的安定的な経済成長期にあり、暮らしが裕福になりつつある喜びを謳歌していた時代。野球文化の隆盛は、日本史における元禄期、元禄文化のような感じなのかなぁと思う。
しかし状況は変化した。まずアメリカで興業主義の行きすぎから労使対立になって、民衆の支持を失ってしまう。競技人口が減り、TV視聴者が減り、それを国際化で補おうとする。アジアのプロ野球も大方似たような歩みを見せ、「上位」国に選手が抜けて、「鎖国」が解かれる。
外国には違う文化があり、違う経済がある。違うスポーツもあるし、違う価値観もある。それを民衆が知った上で、野球文化はどうあるべきなのか。WBCが必要なのか、不要なのかは、その前提抜きには議論できない。
そしてその舵取りは本当に難しい。日本相撲協会なんて、よくもまああれだけの時代激変の荒波の中で、今現在まで生きながらえていると感心しちゃう。今はまさに大変な時だけれど。
黒船も来ちゃって、文明も開化しちゃったからには、気概を持って新しい文化を作っていかなきゃしゃあないだろうというのが私の思うこと。それにあたって、興業についても多少は考えを改めなければいけないだろう。でも元禄文化は、新時代にあっても上手く生かしていこうや、せっかく面白いものができたんだから。そんな感じ。
やっぱりここで欲しいのは、なし崩し的に時代の変化に流されていくことではなく、しっかりとした志を持って、未来を切り開くという気概だと思う。
WBCについて考える時に、野球に国際大会は必要か?という問題にぶち当たる。これって実は一番重要な問題で、簡単に答えが出るものではないと思う。
前にも書いたが、元々はプロの兵士が、平時のひまつぶし(兼訓練)として流行したのが野球。だから内輪の世界でやるのが当たり前。サッカーの方は、民衆が戦争やけんかの代替品としてやったものだから、地域対抗や国別対抗が当たり前。その違いが文化の違いだと歴史的に言えると思う。
どの国(アメリカ、日本、韓国、台湾)のプロ野球も、国際化などなかった時に「興業的黄金期(実際のところは何をもってそうするのかハッキリしないからわからないけど)」があったということも「国際大会不要論」の源流となる。
野球は毎日のように試合ができる。だからそれで客が呼べるのなら、とっても儲かる興業だ。その興業主にとって、またその興業から収入を得る者にとって、興業こそが一番大事なものである。やっている方がそう思っているのだから、見ている方だって当然そう思う。
日本プロ野球の興業的黄金期は、まさに「野球鎖国」の最中だったとされている。国が比較的安定的な経済成長期にあり、暮らしが裕福になりつつある喜びを謳歌していた時代。野球文化の隆盛は、日本史における元禄期、元禄文化のような感じなのかなぁと思う。
しかし状況は変化した。まずアメリカで興業主義の行きすぎから労使対立になって、民衆の支持を失ってしまう。競技人口が減り、TV視聴者が減り、それを国際化で補おうとする。アジアのプロ野球も大方似たような歩みを見せ、「上位」国に選手が抜けて、「鎖国」が解かれる。
外国には違う文化があり、違う経済がある。違うスポーツもあるし、違う価値観もある。それを民衆が知った上で、野球文化はどうあるべきなのか。WBCが必要なのか、不要なのかは、その前提抜きには議論できない。
そしてその舵取りは本当に難しい。日本相撲協会なんて、よくもまああれだけの時代激変の荒波の中で、今現在まで生きながらえていると感心しちゃう。今はまさに大変な時だけれど。
黒船も来ちゃって、文明も開化しちゃったからには、気概を持って新しい文化を作っていかなきゃしゃあないだろうというのが私の思うこと。それにあたって、興業についても多少は考えを改めなければいけないだろう。でも元禄文化は、新時代にあっても上手く生かしていこうや、せっかく面白いものができたんだから。そんな感じ。
やっぱりここで欲しいのは、なし崩し的に時代の変化に流されていくことではなく、しっかりとした志を持って、未来を切り開くという気概だと思う。