2008.06.27 Friday
いよいよペナントレース再開!だけど秋田で試合するスワローズとうちだけは明日からなんだよなぁ。あと1日ガマンガマン。
ガマンしている間に、二軍ではボギーやら安藤やら杉山やら金村曉やらがそこそこ投げて、さあローテはどうなるんだろうね。
NPBと選手会の間で、ドラフト・フリーエージェント(FA)改革協議が行われて合意に至ったというニュース(読売新聞)。
あらあら少しずつ報道されていた通りの決着だが、ポイントは、
・FA権取得期間がちょっと短くなった
・海外へのFA移籍については短くしない
・FA選手を3段階にランク分けして、旧球団への補償に差を付ける考え方が導入された
・Cランク(球団内年俸11位以下)は人的、金銭補償とも不要とした
・Aランク(同1〜3位)、Bランク(同4〜10位)については、人的補償あり、なし、それぞれの場合で、金銭補償が大幅に軽減された
さてFAについては導入からそこそこ時がたっていても、なお多くのファンからあまり好意をもって迎えられない。これは何の根拠もないけど、日本人に根強く残る儒教的道徳観、「一人の君主に生涯仕えることを美徳とする」的なものがあるのかも知れない。自分の欲望を捨てて、公に尽くすとかね。それはそれで確かに一つの美徳だとは思う。
もともと世界の自然の姿は、自由競争だ。強い者が弱い者を食う。だけどそれをやり続けていると戦線は拡大する一方で、一向に戦乱の世が平定しない。そこで城壁を作って、その中に共存共栄のルールを作るようになる。これが人間の理性。日本プロ野球はこうやってドラフト制を作った。
共存共栄のルールを作ると、本来の自由競争だったなら、自分はもっと大きな仕事ができたはずだ、そう考える者の不満が募る。そこで共存共栄関係を大きく崩すことなく、それに配慮する仕組みが必要となる。こうやってFA制度ができた。
FAがなかった頃を懐古する心情はとても理解できる。そういう価値観がなかった頃、選手たちは自分が入った球団で、大活躍して、ファンに愛されて、引退までその球団で勤め上げることを理想としていたと思う。
でもあえて、それを別の例え話でするのなら、FAなし=家父長制度下における家が決める結婚、FA制度=自由な恋愛を認める結婚制度としてみる。きっと昔の人に話を聞けば、自分の好きな人と結婚する自由がなかった時も、十分幸せだった言うだろう。家によって決められた相手を生涯の伴侶として生きていく。愛情は時間とともに育てていくものだ。そういうものだという社会通念があったので、誰もがそれをおかしいとは言わない。社会全体としても婚姻率は高く、離婚率も低い。
ところが、自由恋愛が自然な姿であるということはみんながわかっている。世の中を知り、自分の欲求を知り、制度の矛盾を知れば、一気に世の中は動く。自分の責任において、自分の選択で生きたい、それは自然の欲求だ。
だけど、完全に理性を失い、秩序を失う程のことをのぞんでいるわけじゃない。バランスをとりながら、外界と調和しながら、男女の結婚という制度も変化をしている。
FA制度の流れもそういうことなんじゃないかと思う。
「FAなんてなければ良いのに!」は、結婚する当事者以外、すこし遠くの親戚だとか、近所の人の発言だと思うのだ。
本来今さらこんな例え話を持ち出すまでもないのだが、やっぱり根強い「FAなんてなきゃ良いのに」という、感情的な意見に対する立地点をしっかりさせておきたい。それは自分に対しても必要だったりすることなんだけどね(笑)。
ガマンしている間に、二軍ではボギーやら安藤やら杉山やら金村曉やらがそこそこ投げて、さあローテはどうなるんだろうね。
NPBと選手会の間で、ドラフト・フリーエージェント(FA)改革協議が行われて合意に至ったというニュース(読売新聞)。
あらあら少しずつ報道されていた通りの決着だが、ポイントは、
・FA権取得期間がちょっと短くなった
・海外へのFA移籍については短くしない
・FA選手を3段階にランク分けして、旧球団への補償に差を付ける考え方が導入された
・Cランク(球団内年俸11位以下)は人的、金銭補償とも不要とした
・Aランク(同1〜3位)、Bランク(同4〜10位)については、人的補償あり、なし、それぞれの場合で、金銭補償が大幅に軽減された
さてFAについては導入からそこそこ時がたっていても、なお多くのファンからあまり好意をもって迎えられない。これは何の根拠もないけど、日本人に根強く残る儒教的道徳観、「一人の君主に生涯仕えることを美徳とする」的なものがあるのかも知れない。自分の欲望を捨てて、公に尽くすとかね。それはそれで確かに一つの美徳だとは思う。
もともと世界の自然の姿は、自由競争だ。強い者が弱い者を食う。だけどそれをやり続けていると戦線は拡大する一方で、一向に戦乱の世が平定しない。そこで城壁を作って、その中に共存共栄のルールを作るようになる。これが人間の理性。日本プロ野球はこうやってドラフト制を作った。
共存共栄のルールを作ると、本来の自由競争だったなら、自分はもっと大きな仕事ができたはずだ、そう考える者の不満が募る。そこで共存共栄関係を大きく崩すことなく、それに配慮する仕組みが必要となる。こうやってFA制度ができた。
FAがなかった頃を懐古する心情はとても理解できる。そういう価値観がなかった頃、選手たちは自分が入った球団で、大活躍して、ファンに愛されて、引退までその球団で勤め上げることを理想としていたと思う。
でもあえて、それを別の例え話でするのなら、FAなし=家父長制度下における家が決める結婚、FA制度=自由な恋愛を認める結婚制度としてみる。きっと昔の人に話を聞けば、自分の好きな人と結婚する自由がなかった時も、十分幸せだった言うだろう。家によって決められた相手を生涯の伴侶として生きていく。愛情は時間とともに育てていくものだ。そういうものだという社会通念があったので、誰もがそれをおかしいとは言わない。社会全体としても婚姻率は高く、離婚率も低い。
ところが、自由恋愛が自然な姿であるということはみんながわかっている。世の中を知り、自分の欲求を知り、制度の矛盾を知れば、一気に世の中は動く。自分の責任において、自分の選択で生きたい、それは自然の欲求だ。
だけど、完全に理性を失い、秩序を失う程のことをのぞんでいるわけじゃない。バランスをとりながら、外界と調和しながら、男女の結婚という制度も変化をしている。
FA制度の流れもそういうことなんじゃないかと思う。
「FAなんてなければ良いのに!」は、結婚する当事者以外、すこし遠くの親戚だとか、近所の人の発言だと思うのだ。
本来今さらこんな例え話を持ち出すまでもないのだが、やっぱり根強い「FAなんてなきゃ良いのに」という、感情的な意見に対する立地点をしっかりさせておきたい。それは自分に対しても必要だったりすることなんだけどね(笑)。