2010.01.13 Wednesday
東尾氏ら野球殿堂入り、落合監督2年連続1票届かず(報知・抜粋)
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は12日、元西武監督の東尾修氏(59)とセ、パ両リーグで首位打者を獲得した故江藤慎一氏、大学、社会人で活躍した故古田昌幸氏の3人を選出したと発表した。殿堂入りは計171人となった。東尾氏と故江藤氏の表彰式は7月23日のオールスター第1戦(ヤフードーム)で行われる。(以下略)
私がプロ野球に興味を持ったのは、小学3年生の時だから1975年だと思う。近所の本屋さんでプロ野球の本を買ってもらって熱心に読んだ。テレビでやっている王、長嶋以外にもいろんなスター選手がいて、いろんなチームがあって、それぞれに歴史があることを知った。西鉄ライオンズはすでになく、子ども向けの本には「黒い霧事件」の詳しい説明はなかった。私にとってのライオンズ原風景は、太平洋クラブライオンズだった。といっても遠く福岡で行われているパ・リーグの試合について、テレビで流される情報はほとんどない。その時の監督が江藤慎一氏だったことも、エースが東尾修氏だったことも印象にない。
調べてみればその年、江藤氏は大洋からプレーイングマネージャーとして引き抜かれ、4位から太平洋クラブとなって初のAクラス(前期2位、後期4位、通年で3位)に引き上げたが、1年で放出された。残念なことだが本当になんの記憶もない。
太平洋にまつわる記憶といえば、12球団を丸暗記する過程で、大洋と太平洋がごっちゃになったこと、「大」「太」の違いをややこしく感じたこと、真っ青なユニフォームと丸いエンブレムのついた帽子があったということくらい。クラウンライターについては、ドラフトで江川を指名したとか、西武に身売りしたとか、その時、田淵幸一・古沢憲司×竹田和史・若菜嘉晴・真弓明信・竹之内雅史の大トレードがあったとか、妙に生々しい記憶があるんだけどね。まあ、少し大きくなっていて物事がわかっていたとか、タイガースファンという自我を確立した後の衝撃とか、いろいろあってのことだろうけど。
その後の東尾氏については強烈に覚えている。時はプロ野球全盛期。フジTV夜のプロ野球ニュースで、西武ライオンズのエース東尾の職業野球根性を見た。しょっちゅう巨漢外国人選手に睨まれ、まったくひるまずに睨み返していた(笑)。現在でもインサイドをえぐるという投球はあるけれど、ヒジ当てを付ける打者もいなかった時代だからなお効いたというのはあるかも知れないな。
監督としての実績もあり、文句なしの選出だと思う。それと落合氏の2年連続1票足らずというのも驚き。そもそもなんでスッと決まらないのか不思議でならない。